木彫刻の流派色々

日本の伝統的な木彫刻は、大きく分けると2つあると言われています

江戸木彫刻

木彫刻は飛鳥時代、仏教が伝来すると共に、始まったと言われています。木彫刻の中心は、やはり仏像の彫刻でした。奈良時代から平安時代、そして鎌倉時代を通して、木彫師により多くの仏像が作られていきます。仏像も平安時代の頃は、いかにも貴族が好むような、優美で華麗なものが作られますが、鎌倉時代になると徐々に、武士が好む、勇ましい物が多くなっていきました。

ところが室町時代になると、禅宗が盛んになります。この禅宗は、仏像を必要としなかったため、仏像彫刻は下火になっていきます。変わって隆盛となったのが、寺院や仏閣の建物に装飾を施す建築彫刻です。有名な左甚五郎は、桃山時代から江戸時代の初期にかけて、活躍したと言われる人物です。

建築彫刻を手がける宮彫師たちは、仏像彫刻の彫刻師たちが鑿と刀を使い分けたのに対し、鑿だけを用いて彫刻を制作しました。これは大工の流れを汲むからだと言われています。宮彫の代表として、日光東照宮の陽明門が有名です。

明治時代になり、西洋建築が建てられるようになると、彫刻師たちも西洋彫刻を手がけるようになりました。国会議事堂には、300人もの彫刻師により製作された立派な彫刻が、今でも残っています。

参考URL:http://on-wood.info/

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左甚五郎

木彫刻で有名なのは、左甚五郎です。左甚五郎は、江戸時代の初期に活躍したと言われる、伝説的な木彫師です。落語や講談にも名前が上がり、左甚五郎の作と言われる彫刻が、全国各地にあります。

講談において左甚五郎が「左」という姓をもつのは、大工の仲間に腕の良さを妬まれ、右手を切り落とされたからだと伝えられています。また左利きだったから「左」という姓を名乗ったという説もあります。

左甚五郎が実在の人物であるかどうかは、いまだに異論があり確定していないようです。しかし左家の末裔や、左甚五郎の流れをくむ彫刻師が、現在存在することも事実です。

左甚五郎は13歳で、京都で大工の修行を始めたと言われています。その後江戸へ下り、堂営大工の棟梁として有名になりました。

江戸城の改築に加わり、江戸城の秘密を守るため、刺客に襲われるもこれを倒して逃走、高松藩でかくまわれます。その後京都へ戻り、禁裏大工の棟梁を拝命したと言われています。

左甚五郎は、日光東照宮の眠り猫を製作したと言われています。また全国に多くの、左甚五郎作と言われる彫刻がありますが、中には作風が明らかに異なるものも含まれています。左甚五郎がそれだけ有名な彫刻師であった証であると考える人もいます。

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井波彫刻

木彫刻といえば、井波彫刻も有名です。明徳元年、本願寺の五代綽如上人は、天皇の命令により井波別院を創設しました。ところがこれが、幾度となく消失し、そのたびに再建しなければならなかったのです。

江戸時代中期に瑞泉寺本堂を再建する時には、本堂の彫刻を行うため、京都本願寺から御用彫刻師であった前川三四郎が派遣されました。この前川三四郎に、地元の大工であった番匠屋田村七左衛門ほか4人が、彫刻の手ほどきを受けたのが、井波彫刻の発祥であると言われています。

井波流は江戸時代、神社や仏閣の宮彫を行うことで、その腕前を発揮していました。明治時代になり、住宅用の欄間を開発し、「井波欄間」とも呼ばれるようになって、新しい局面を切り開くこととなりました。

昭和に入ってからも、井波流は一方では寺社の宮彫に能力を発揮しました。東本願寺や築地本願寺、日光東照宮、その他多くの寺社仏閣の宮彫を、井波流は行うことになっていきます。またもう一方、一般住宅の欄間や置物などにも、大きく手を広げていきました。

現在では井波流は、一般住宅の彫刻を主流に行うようになっています。中でも欄間は、井波彫刻を代表する主力商品と言えるでしょう。

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宮彫師の誕生

木彫刻のうち宮彫とは、神社や仏閣の建物を装飾するための装飾です。建物の外側に飾られる彫刻はもちろんのこと、回廊や欄間など、室内をも装飾するためにも用いられました。宮彫は建物の内外すべての装飾を構想し、それを木彫刻という形で表現していくものなのです。

この宮彫の技術として、欄間だけが取り出され、一般に普及するようになりました。寺社だけでなく、民家の家屋にも欄間は用いられるようになり、現在でも欄間は、日本建築においてなくてはならないものとなっています。

宮彫は元々は、専門の彫刻師がいたわけではありませんでした。寺社を建設する宮大工の棟梁が、建物の仕上げの一環として、簡単な装飾を入れることから始まったと言われています。これが徐々に発展し、江戸時代になると、彫刻ができることが、宮大工の棟梁になるために、欠かすことのできない条件であったとすら言われています。

そのうちさらに、この建物の彫刻は発展していきます。宮大工が彫刻も一緒に行っていたところから、宮彫師という専門の彫刻師が職業として誕生し、宮大工と分かれていくことになりました。宮彫師には徐々に流派も生まれ、江戸前期で有名なのは大隈流、後期で有名なのは立川流と言われています。

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伝統彫刻の2つの方向

日本の伝統的な木彫刻は、大きく分けると2つあると言われています。1つは仏像彫刻です。もう1つが宮彫と言われる、寺社の建物を装飾するための彫刻です。木彫刻というと、仏像をすぐに思い浮かべる人が多いかもしれません。でもこの宮彫も、神社やお寺に行けば、数多くのものを見ることができるでしょう。

宮彫が盛んになった背景として、室町時代から栄えるようになった禅宗において、仏像が不要なものとなったことがあげられると言われています。それにより多くの彫刻師たちが、仏像彫刻をやめ、宮彫を行うようになったというのです。

宮彫は安土桃山時代から、寺社の欄間などに徐々に見られるようになっていきます。そして江戸時代の初期に完成されたと言われます。その代表が、日光東照宮です。

日光東照宮は、まさに絢爛豪華を極めたものと言えるでしょうが、実は同時期に、京都の桂離宮も作られています。桂離宮は、侘びさびを大事にした、簡素な作りです。

日本の美というと、侘びさびが代表のように思われているところがあるかもしれません。しかしむしろ、侘びさびと絢爛豪華の両面を、日本の文化は持っていると言うことができるのかもしれません。

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